人それぞれの平和 平凡な中学生のお話。
今週のお題「自由研究」
今(中学3年生)の僕らが出来る戦争と平和についてがお題の作文を書いた時の物です。
自由研究かどうかは怪しいかもですが、個人的に印象深いこの作文を改めて自分でも考えてみたくて今回の今週のお題に書かせてもらいました。
殆ど当時のままの作文をそのままここに書いてます
中学生時の作文 拙いのはご愛嬌でお願いします
皆さん平和とは何だと思いますか?
少し考えてみてください。
(この画像は作文とは全く関係ない現在の僕の趣味です。一応平和の象徴たる方のイメージなので、)
ぼくは今みたいに皆が学校に来て、おしゃべりして、ご飯を食べて皆と遊んでいる事自体が楽しくて平和であると感じています。皆もこう感じているんでしょうか。勿論それぞれ違った平和の事を考えている人もいると思います。
ただ平和を考える上で戦争が昔、日本にもあった事を忘れてはダメだと思います。
そう言っても僕は戦争の事なんて全く知りません。
戦争を知らない僕たちと、平和を知らない人達の考える平和は同じなのでしょうか?。
僕は違うと思います。ぼくは平和しか知らないんです。戦争の事なんかは知りません。
なので今中学3年生のぼくたちが戦争と平和について出来ることとは、戦争の事を知ることなのではないかなと僕は思いました。
以上です。
少し細かい言い回しや句読点は変えていますが、この内容を当時の僕は作文として、書きました。
ここからは個人的に当時の振り返りしたくなったのでしています。
ちょっと長いよ
この作文を書くだけでなく、クラスごとの授業で皆の前で何人かの生徒を当てて発表をさせるというおまけ付きでした。
正直自分は人前苦手ニンゲンなので、めちゃくちゃ当たりたくなかったです。こんな内容の発表をする事も自分の考えを言わされる事に凄く恥ずかしさを感じていました。
5人が発表して、あーよかった当たらなくて、最後の1人だから、もう大丈夫かとか、考えちゃったんですよ。欲とは、怖いものでそんなこと言ってたら当たりまして、心臓がいきなりバクバク言い始めたのが分かるくらいドキドキしながら、皆の前に移動していきました。
人生で初めてあんなに緊張したので発表前後の話はすんごく記憶に焼き付いてるんです。不意に来るもんで、とてもビックリしました。
皆の前に来て、さらに心臓の鼓動が鮮明に聞こえるんですよね。声も震えながら、初めの3行位でもう皆の顔なんて見れなくなって、下に置いた作文をずっと見ながら発表をしていました。とにかく全部読み切る事しか考えられなくなってたなー。
声は最後まで震えてました。どんな表情で皆はこの作文聞いていたんだろう。話し声は流石に発表の時はしなかったとは思うんですけど。
自分がこの作文を読むことしか出来なくなってるくらい緊張してたなー本当にあれからまたあの緊張感が頭から離れなくて、プレゼンとか発表は怖くなりました。
発表後の雰囲気
発表し終えた後はもうホッとしながら皆の拍手で席に早足で戻りました。こうゆう学校の発表は終わったら拍手は皆してくれますよね。ホッとする。ホントに。座っても手足が軽く震えていたのを忘れません。
でも、ただただこれが救いなんですけど当時の自分は真面目のイメージなんて持たれてなくて、勉強もしたから数えた方が早いし、部活もそんなに頑張っていなくて、遊んでしかいないイメージを持たれていました。多分合ってる。
その中こーゆー作文の内容を発表したので、あれです。ヤンキーが子猫助けると良い人に見えるアレです。
僕はヤンキーでは無かったですけど、ギャップで友達から褒められたのがちょっと嬉しかったです。こんな事考えてるんだ。凄いな。普通に見直した。とか言われました。素直に嬉しかったですね褒められたので。
しかも何が嬉しいって勉強出来ないし、態度も良く無かったみたいで、先生から褒められた事がマジで無かった中学生の僕に対して、この戦争と平和についての作文を横で聞いていた時に、鳥肌が立ったよって凄かったねって言われたのがこの時は1番記憶に残りましたね。かなり嬉しかった〜。人から持たれている人物像とギャップがあるとより印象が変わるっていうことはこの時初めて実感がしたと思います。
ただ緊張する癖が付いてしまったんですけども。
今の自分も基本的にこの考え方は変わらず、知らなければ分からない事があると思ってます。
平和については皆がそれぞれその時持っている物で変わる神さまの様なものかなと思ってます。
長々と、書きましたが、僕が言いたかったのは価値観の感覚は人によって変わる物だと考えています。という事です。
ありがとうございました 。<(_ _)>